まつど教育相談研究会 研修レポート

        2008年までのまつど教育相談研究会の研修活動を紹介します。

                 

◆2008年  10月例会    「教師のメンタルヘルス」

             講師 保坂亨先生(千葉大学教授)
              

 教師のメンタルヘルスについての保坂先生のお話ということで楽しみにしていました。
 精神的な不調、疾患で休職する教師が、近年急速に増えています。わたしの元同僚にも休職に入っている先生がいました。「えっ、あの先生が?」と思うような人が病休を取っているという例もあります。
 数十年前の、学校が校内暴力などで荒れていた頃よりも、今の方が病休を取る教師が増えているという現状を、どう理解したらいいのか。なかなか興味ある問題です。
 先生のお話の中では、都道府県別の、精神的疾患によって病休を取っている教師の数の資料が示されました。都道府県によっておどろくほど差があることがわかります。中には病休を取っている教師の割合がきわめて少ない県もあります。「さて、この県はどこがうまくいっているのだろうか?」と思っていると、「この県では、病休が続くと退職に追い込まれちゃう雰囲気があるみたいですね。」との先生の解説。
 なるほど、悪い数字が低いほどうまくいっているとは限らないものなのだなあと納得しました。(数字が高い低いですぐにいきり立つどっかの知事みたいになっちゃいけませんね!)
 教師をめぐる環境の変化・・・といってます思い浮かぶのが、俗に言う「モンスターペアレンツ」の存在。また、学校管理、教師の締め付けということも常々感じています。
 しかし、保坂先生は、それらの他に、思ってもみなかったようなことを言われました。
 「教師の転勤」
 教師は昔にくらべて、早いサイクルで転勤するようになりました。一校勤務7年という年限をきちんと守らされるようになったし、短いサイクルで教師が次の学校へと異動させられるようになったというのです。
「転勤というのはねえ、教師にとって、大きなストレスになるんです」
 言われてみると、まさにその通りです。もちろん他の職業だってそうだと思うのですが、全く違った体制、違った地域環境の中で、自分の全責任で数十人の子どもたちにある一定のものを与え続けていくことを求められるのです。口では言い表しにくいつらさがあります。
 わたし自身、思い起こしてみると、転勤1年目にいい思いをした記憶はほとんどありません。1年目はひたすらがまん、そんな感じです。
 
 最後に、新規採用の先生が次々とやめていくことについて、先生がおっしゃったことで印象に残ったことがあります。
 新採研のレポートや次の日の授業のことで本当につらくてどうしようもなくなったとき、やめてしまった人と、やめなかった人、インタビューしてみてその違いがわかったそうです。
 「がんばってなんとかしなきゃ」と睡眠時間を削ってぎりぎりまでがんばり続けた人は、燃え尽きてしまう。「もう、いいや。寝ちゃお。」と、適当なところで見切りをつけることができた人は、続けることができた・・というケースが結構多いということです。(D)


◆2007年 7月例会 「引きこもり・不登校への対応」

  講師  スクールカウンセラー 田中典子先生

 「引きこもり」というテーマでしたが、田中先生は、むしろ「不登校」という形に絞ってお話ししてくださいました。
 その時は「おや?」と思いました。でも、このまつど教育相談研修会は、基本的に教員が多いので、おそらく引きこもりについて焦点を絞って話したら、抽象的な一般論になってしまったのではないかと思われます。それに、田中先生は、実績的にこちらを得意分野としていらっしゃるようでしたし、これがベストだったのではないかと思います。
 田中先生は、不登校の子どもへのアプローチで、かなり「積極策」を取るなあと感じました。
 ブリーフセラピーの0から10までの尺度を使いながら、朝起きて、学校に行くまでどこでひっかかるのか、どうしたら次の段階に行けるのかといったところにひとつひとつアプローチしていく方法は、なかなか新鮮で刺激でした。
 ただ学校に行けばいいというわけではない、学校に行かないことにも意味がある・・・といった考え方もあります。その考え方は、決して忘れてはいけない大事なものだと思います。しかし、こういうやり方もありだなあと思いました。
 要するに、スタイル、技法をどう使い分けていくか、どこでどう使うかという判断をすることが重要なのだろうと感じました。
 カウンセラーとして活躍するかたわら、料理の先生もやっているそうです。田中先生はなんともエネルギッシュで多彩な方でした。
 田中先生は、ご主人の転勤とともに教職を辞め、主婦になったそうです。その環境の中で、心理学を勉強しようとしたそうです。主婦という肩書きではどこの大学の先生も相手にしてくれないながら、熱意を受け入れてくれたたった1人の先生・・・果たしてその先生は、人間的にも、そして学問的にも抜きんでたものを持ったすばらしい先生だったそうです。そんな体験談も印象に残りました。(D)


◆2007年1月例会(地域ネット主催講演会に参加)

 「怒りを抑えられない子ども達への理解と援助」

   大河原 美以 先生 (東京学芸大学)

 柏の文化会館に、かなりびっしり人が入っていました。みんな期待していましたが、期待を裏切らない内容でした。
 子ども達が「キレる」というと、すぐに「ADHDじゃないか」というのが最近の風潮ですが、そんな私たちにとって、大河原先生のお話はとても新鮮でした。
 子どもがキレるということはどういうことなのか。
 子ども達が欲求不満場面に遭遇し、ストレスにさらされたとき、先生は、「子ども達の体の中を怒りのエネルギーが流れる」と表現されていました。そのエネルギーをつかまえることができない、つまり、自分の体の中で起こっていることがつかめていないのだということを話されました。
 自分の心の中にあるもの、つまり、自分の体の中に流れる不快な感情がなんだかわからない、その混乱が自分自身をコントロールできない、すぐ切れてしまうという行動につながってしまう・・・私はそう理解しました。
 こわい、悲しいなどの感情が喚起された場面で、思いっきり泣き、大声でわめくなどの自由な感情表出を行い、そのあとで大人に「こわかったね」「悲しかったね」と、やさしく抱きしめられる、そんな体験を幼児期にすることで、ネガティブな感情を自分の中に抱える力が養われると先生はおっしゃいました。今の子育ての中で、けっこうそういう場面がなくなってしまっているのが現状だそうです。子どもが大声で泣いては行けない、周りの迷惑になってしまう・・・・と。
 こうして表現され、受け入れられることのない不安や怒りの感情は、表に出してはいけないものとして、心の中から排除されます。しかし、どうしても体の中に怒りや不快の感情が生じます。それは自分の心に受け入れられず、不適切な場面で、不適切な形で「爆発」してしまうというわけです。(イマイチ正しく伝えてないかもしれません・・・)
 大河原先生の考えは、「おとなしいふつうの子がいきなりキレる」という現象をよく説明しているように感じます。
 はあはあなるほどとうなずく2時間でした。
 あと、特別支援教育にも触れられ、「特別な子だけをどうにかすればいいのではない。その子を刺激する周りの子の存在に、もっと目を向けなければいけない」という先生の言葉は特に印象に残りました。(D)
                                     



◆2006年度7月例会 「広汎性発達障害の理解と対応」
           〜子どもの特性に応じた支援をさぐる〜
   講師 霜田浩信先生 (文教大学教育学部特殊教育研究室)

 今回は15人定員の小さな会議室がぎっしり満員、学校現場における発達障害への関心の高さをうかがわせました。また、おそらく霜田先生をすでに知っている人は、くわしく、かつ明快な先生の内容の濃いお話を楽しみに集まってきていたことと思います。
 広汎性発達障害、自閉圏の障害を持った子どもの行動特性、対応について、ものすごく膨大な内容を、コンパクトにまとめて初心者向きに話してくださいました。あれだけの内容を圧縮して、しかもわかりやすく話された構成力はさすがだと感心させられました。
 後半は、実際の教室で指導に苦慮している事例の検討を行いました。なかなかむずかしい事例が出されましたが、どこの学校でもそれぞれけっこうむずかしい子はいるものだなと感じました。これから、普通学級にはますますむずかしい個性を持った子がたくさん入ってくるのでしょう。私達はこれからこういう子たちに対応していかねければならないのです。発達障害については勉強しておかなければならないなと、改めて感じました。
 霜田先生はWISCVのプロフィール等、深い話をされるともっと面白いですよということをひとこと付け加えておきます。(D)

                             

◆2006年6月例会 「ソーシャルスキルトレーニングの理論と実際」
   講師 渡邊弥生先生(法政大学文学部心理学科教授)

 教育相談というと、ロジャース的な「共感」とか、子どもの内面的理解とか、いわゆる「臨床っぽい」「カウンセリング的な」イメージがありますが、そういったものとはちょっと毛色の違うものに触れられた気がします。
 昨年の合宿でやった論理療法、あるいは認知行動療法、それにこのソーシャルスキルトレーニングは、気持ちの深いところを探っていくのではなく、現実の社会における不適応行動をなおし、より適応的な行動を身につけるという発想を持ったものです。最近はこちらの方がだんだん主流になりつつあるような気もします。教師が教室で子どもと向き合っていると、意外にこちらの方が使う場面が多いかもしれません。とくに軽度発達障害の子どもの適応を指導をしていく上で、有効だろうなと思います。
 このソーシャルスキルトレーニングは、教室での子どもの指導にけっこう使えます。子どもたちを見ていて、こうすれば相手がいやな思いをしないのに、こうすれば友だちとうまくいくのにと感じることはよくあるものです。
 今回の例会では、「断りにくいことをうまく断る」というワークをしました。相手との関係を壊さないようにうまく断るというのは相当にむずかしいものです。みんなでわいわい相当盛り上がりました。大人でもソーシャルスキルトレーニングはけっこう生きるものなのだろうなと思いました。
 今回の例会に参加して、ちょっぴりことわり上手になったかな?という気がします!
 (D)
                                  


◆2006年4月例会
「校内暴力による学校危機を起点とした学校改善に関する事例研究」
…公立X高等学校の23年間の分析を通して…

 桜が満開の4月1日、2006年度はじめの例会は 会の副代表である和井田節子さんの修論「校内暴力 による学校危機を起点とした学校改善に関する事例 研究 〜公立x高校の23年間の分析を通して〜」 の報告でした。助言者としてこの春県立高校を退職 された池田眞さんをむかえてはじまりました。

和井田さんは1981年頃マスコミでも大きく取り 上げられたx高校に在職した時期があり、その後の 回復、充実していく高校に関わり、それが知られて いないことを残念に思ったとのこと。その時期危機 に関わった職員の生の声を残しておきたい。現在進 められている早急な学校改善は危機を招くのではな いか、危機の要因を研究することが学校づくりのポ イントを知ることにつながると考えて、修論でこの 研究をしたとのことでした。

学級崩壊、学校崩壊に直面した会員もおり、多くの 高校で、危機に陥る危険はすぐ隣にあるのは誰もが 実感しているところであり、興味深い話題でした。 経過報告だけでなく、x高校で実際にあった事例を 3つ取り上げて、この場面であなたならどんな発言 をするか、どんな行動をするか、その後何をする か、を班ごとに話し合って発表しました。

事例?は2学期の成績に34人中24人にある科目 で赤点がついたとき、事例?は40人の生徒が図書 室に3人教師を監禁したとき 事例?は校外で補導 された仲間をめぐって警察に行こうとする生徒達が 止めに来た教師に暴力をふるったとき、いずれも難 しい状況です。いろいろと意見を出し合ったのです が、和井田さんは危機を個人レベル、学校レベル、 地域レベルとわけて、そのそれぞれにその時点での 望ましい対応の仕方とその後の対応を提案してくれ ました。危機をレベルに分けて見ることは、新しい 視点であり、非常に参考になりました。

最後に助言者の池野さんより学校が改善していく指 標として退学者数の減少、偏差値、進学率などで見 ることが多いが、本来「今いる生徒がどれだけ伸び たか」のはずである。これは測れないものだが、生 徒、保護者職員、地域がどう評価するかということ ではないかと言う指摘がありました。まだまだ掘り 下げたいことがあったのですが、充実したアッとい う間の3時間、タイムオーバーで終了しました。 (AOKI)


◆2006年1月例会  「Doodling」 法政大学教授 清水幹夫先生



 清水幹夫先生を講師としてお呼びしての例会、今回はDoodlingということでした。あいにくの雪の中、遠路はるばるおいでいただきました。
 清水先生といえば、すぐに「ベーシックエンカウンターグループ」というのが頭に思い浮かぶのですが、先生によると、その、エンカウンターグループの合間に取り入れるワークとして効果的な技法なのだそうです。
 まずは画用紙を用意します。それに、クレヨンを持ちます。これは気に入った色でいいのだそうです。それでまずはループにした曲線を描きます。次に音楽をかけ、それを聴きながら、その曲線のループの上を、何度も何度もクレヨンでなぞっていきます。
 曲が変わるとクレヨンの色を変えます。気が向かなければ変えなくてもいいのですが。3曲、4曲と、曲が変わります。曲線の上をなぞっていくという単純な作業が延々と続きます。単純作業が苦手な私にとってはちょっとつらいなあという気もしました。
 しかし、なぜかそれを続けているうちに、なにかが心に浮かんできます。青のクレヨンで線を描いたあと、ピンクのクレヨンを使いました。自分が一年生の時に、ぬりえでやさしそうな先生のスカートを青、ブラウスをピンクに塗ったなあなんて、とんでもない昔のことを思い出してちょっぴり懐かしくなりました。単純作業ゆえに、なにかが心に浮かんでくるものです。ああ、こういうものなのか・・・と、なっとくしました。
 終わったあとのみんなの作品を見せ合い、シェアリングすると、本当に作品はいろいろ、感じ方もいろいろでした。また、そのうちどこかでやってみようかなあと思いました。でも、学校で使うのはちょっと無理だろうと思いました。みんな単調さに飽きてふざけだしてしまうでしょう。
 久々に清水先生のほのぼのとした人柄に触れることができたのもとてもうれしく感じました。
 なお、Doodlingは清水先生のオリジナルだそうです。(D)




◆2005年10月例会 「軽度発達障害の理解と対応」
           ひだクリニック 初石病院 肥田裕久先生
        

 発達障害については、今までけっこうあちこちで講演を聴く機会があったので、今回はそのおさらいのようなのかなあと考えていました。でも、予想に反して、新しく知ることがとても多く、新鮮な刺激に満ちていました。約3時間半、ひたすら先生の話に聞き入ってしまいました。発達障害の研修では、特殊教育の畑の方が講師になることが多いのですが、肥田先生は医療の現場の方、薬物療法等、教育関係とはちょっと違った視点からのお話も多く聞くことができました。また、図や事例をたくさん取り入れて、教師にもわかりやすい内容にしてくれていました。
 個人的に特に印象に残ったのは、医療の現場の人である先生が、「何よりもまず、二次的障害を防ぐこと」ということを力説されていたことです。ずっと前に、ある精神科医の方が、「ADHDの子は成長すると行為障害になります」というようなことを話されていたのを聞いてショックを受けたことがありました。肥田先生は、「多くのADHD患者は青年期に軽快するが、自己肯定感(セルフエスティーム)が育ってきていないために、行為障害につながってしまう」ということを話されていました。ADHDの子どもたちが、家庭や学校や、子どもたち同士のコミュニティの中で傷ついて、自分はだめだと思ってしまうこと、そのことが、のちの行為障害、ひいては反社会性人格障害を引き起こすということです。ADHDの子どもにいかに自己肯定感を持たせるようにするか−我々教師の役割はとても大きなものなのだと改めて実感しました。自分たちが日々教室でやっていることがとても意味がある、価値があるような感じがして、ちょっと元気をもらったような気がしました。
 薬物療法というものは、リタリン等その有効性は書物等でよく知っていましたが、それを患者に処方するのもなかなか大変なんだなあということもわかりました。医師の側は服用する分量に気を遣うぐらいかと思ったら、親の同意を得るのが大変なことなのだということでした。自分の子が障害を持っているということをなかなか認めたがらない親御さんが多いということです。「薬を使うだなんて、なんと言われるかわからない」という父親や祖父母が、けっこう多いのだそうです。今までまったく考えてもみませんでしたが、考えてみると、なるほどそうかもなあと思いました。
 また、薬をすすめたくなる医師側の心理についての説明も「なるほど」と感心しました。「なにか手を打たないといけない」と思いこんでしまうのは、職種は違いますが、なにかとても気持ちがわかる気がしました。
 プレゼンもけっこう凝っていて、大変お忙しい中、先生が気持ちを込めてこの研修会に臨んでくださったのがわかりました。資料もとてもわかりやすく、具体的にわかるよう、親切に作られていました。この研修会に出られなかった方は、ぜひ一度ご覧になることをおすすめします。

       ◎2005年夏合宿(8/27〜28)のレポート!

◆「障害者の精神保健ネットワーク作り」 進藤義夫先生の講演を聴いて
 
 合宿1日目の午後、ガラス張りで明るい室内の椅子に腰掛けて、進藤先生のおいでを待っていました。昨年の夏合宿にお会いするはずでしたので、待つこと1年です。ガラスのドアの向こうに、背の高い青年が現れ、目が合ったらにっこり笑顔が・・・、その方が進藤義夫先生でした。
 全国に250万人いると言われている精神障害者は、長い間「座敷牢」に象徴されるような「社会防衛」的政策がとられていて、「地域生活支援」へと変わってきたのはこの20年とのことです。そういわれれば、私が受けてきた教育の中で、精神障害者についての事柄は何一つ無かったような気がします。教師になってから精神科にかかっている生徒や保護者にであった、というところです。
 進藤先生は世田谷区の精神障害者の作業所「T&M企画」で11年間指導員をされ、世田谷区内の作業所連絡会、玉川地域の保健センターのネットワーク、NPO法人設立、世田谷区内の作業所、グループホーム、授産施設、地域生活支援センターの4つの連絡会をつなぐ4者協議会などのさまざまなネットワークを作ってこられたとのこと。そのおかげで、世田谷区の精神障害者は個人的な相談から、生活一般、就労までこのネットワークの中でケアを受けることができるわけです。
 その中でも、作業所見学ツアー、作業仲介、退院促進事業など、さまざまなアイデアには感心します。どれも、はじめは一人の障害者の現状を何とかしたいというところからスタートしたようです。その人の持つ能力を活かすことができないか、活かす場所はどこにあるか、どんな方法なら可能かを考え、模索するなかで、外への自然とつながっていったように見えます。先生の話に声を立てて笑い、聞き入ること3時間、そのネットワークが一瞬「自然に出来上がった」ように思われました。必要とされる仕事が、それを実行してくれる人を探して、川のように流れてゆきその人にたどり着いたように思えたのです。が、それは引き受けた進藤先生の勇気から生まれたことで、実現するには相当の知恵と力があったはずです。
 そのエネルギーはどこから出てくるのでしょうか。答えは夜の懇親会の中ですこし明らかになりました。双子のひとりで3兄弟の末っ子であること、大学や大学院での研究のことなど、子どもの心身の育ちを学習している者には大変興味深いお話でした。生徒に勉強は何のためにするのか聞かれたとき、こういう風に社会の誰かの役に立つために身につけた知恵を使おうよ、と答えたいと思います。そして、1人1人の生徒との関わりにも、背景にネットワークがあれば新たな力を生み出すのだと思ったことでした。(AOKI)      
       

◆「論理療法の実際」   聖徳大学助教授 鈴木由美先生

  合宿のしおりの“その考え方を変えて・・幸せに”というタイトルを見て、講演を前から楽しみにしていました。
  実際に講演をお聴きした今、“このタイトル、私にも実践していけるかも!”と、夏休みが終わるというのに、すごくさわやかな気持ちでいます。
  鈴木先生は、にこやかでとても魅力的な方でした。
  最初に先生の自己紹介があったのですが、そのまま先生の面白く楽しいお話に引きこまれ、いつの間にか午前中の2時間が過ぎていました。
  難しいはずの理論も笑いながらお話を聴いているうちに自然に頭に入ってくるので、普段は難しい話になるといまいち頭が働かなくなる私にもよく理解することができました。 論理療法の基礎理論は、何か出来事(A)があると、心の中でBという考えが働きかけをして、その結果Cという感情が起こるというABC型モデルで説明できるとのことでした。Bの部分に着目し、イラショナルビリーフ(不健康で不合理な考え)をラショナルビリーフ(健康的で合理的な考え)に変えることが基本とのことで、そのためのD(論駁)の方法についても教えていただきました。                               
  午後は、理論をふまえて実際に二人一組になって演習を行いました。自分のイラショナルビリーフに焦点をあて、友達論駁という方法でラショナルなものに変える演習だったのですが、演習の中でたしかに気持ちに変化が起きるのを実感しました。論理療法の素晴らしさを感じた瞬間でした。
  また“人は幸せになるために生きている”“まずは自分を大切にすること、それがあってこそ周りの人たちも大切にできる”というエリスの考えには、とても素直に共感できました。
  自分を幸せにして、周りの人もたくさん幸せにできる・・・そんな素敵な人間を目指して、まずは今日から、そして二学期も頑張ろう!と思います。
 (HAYASHI)
                 



◆2005年4月例会 「トラウマの癒し(ハク)と生きる意味の喪失と回復
            (坊とカオナシ)『千と千尋の神隠し』を読み解く」
              光元和憲先生

 狭い会議室はびっしり満員でした。やっぱりみんな光元先生のお話を聞きたいんだなあと感じました。今回のテーマはトラウマと癒しについて、それを「千と千尋の神隠し」を題材として、わかりやすくお話くださいました。
 先生は、この、千と千尋の神隠しを、1人の少女が思春期の中で、自分が十分に親に愛してもらえなかったというトラウマを乗り越えて行くというテーマを持った物語として読み解いておられました。
 光元先生は、いつも人間のこころを理解するにあたり、「共有」ということをキーワードとしているように思います。「心が傷ついたことでなく、心が傷ついたことを共有できないことがトラウマとなっているのだ」という論は、光元先生独自のユニークな,、説得力あるもののように感じます。
 講演会は、千と千尋の不思議な世界が、先生のお話の中でさらに深く意味深い世界として読み解かれていく、楽しいひとときでした。(もちろん、光元先生らしいギャグも聞けて、それもよかったです!)千尋がサインした契約書の「萩」の字が違っていることや、銭婆のところに行く時に乗った電車が通り過ぎる駅にたたずむさびしげな少女のシルエットなど、全然気づかなかったことにいろいろな意味が込められているのに気づかされ、もう一度見てみたら違った目で見ることができるだろうなと感じました。

 研修会後、アルコールの入った席で、「千と千尋は、よくわからない」というアメリカ人がけっこう多いという話が出ました。とくに他人に愛してほしいためになんでもやろうとする「顔なし」がよくわからないということでした。「権利」、「自分の取り分」という意識が強く、損得ではっきり割り切る傾向の強いアメリカ人の人には理解しにくいものなのだろうという声も出ました。はっきりと自己主張をして自分の権利を守るのが当たり前だという感覚は、違った視点から見るならば、まわりは自分を守ってくれない、はっきり言わなければ自分の権利は奪われてしまうという意識を常に持っているという言い方ができるかもしれません。これって被虐待の子どもと似ているかも?という話にもなりました。「はっきり自己主張できることが大事!」という感覚って、ちょっとトラウマチックなものなのかもしれないなあなんて感じました。もちろん、短絡的に結論を出したわけではありませんが、話がすごく深まって、その他にも映画の話でも盛り上がり、時間が過ぎるのがすごくもったいなく感じました。(D)



◆2005年2月例会「教員のメンタルヘルスとバーンアウト」
     埼玉県立小川高等学校定時制             新井  肇先生

 今回のテーマは、教師の心の健康についてでした。心を病んで休職している教師が増えているという新聞記事はちょっと気になっていたので、ひそかに今回の研修に期待していました。果たして、その期待を裏切らない内容でした。
 初めに、教師が心を病んでいるということが、新井先生のレジュメではっきりとデータとして示されていました。名古屋市の調査で、200人に1人が精神疾患で病休、30人に1人はいつ医者にかかってもおかしくないということに驚きでした。航空管制官、外科医に次いでストレスが高い職業だともいわれているということでした。
  新井先生は、気さくな方で、お話はユーモアを交えたざっくばらんな雰囲気でした。でも、その中で、次第に教師がきわめてストレスフルな職業だということがわかってきました。他の職業にない「教師独特のストレス」が、いくつか具体的に説明されました。
○人間相手なので自分の仕事の成果が数量化できない−どこまでやっていいのかわからない
  つい無理をしてしまう。熱心になりのめり込んでしまう。
  私たち教師は、みんな心のどこかで、子どものために少し無理をするくらいがいい教師なのではないかという思いをどこか持っているように思います。また、子どもの指導で、限界を超えてでもその子を救ってやりたいような気持ちになることは、おそらくどんな教師でも経験したことがあるのではないでしょうか。限界を超えてまでの関わり−それをしてしまったら教師は疲れ果ててしまいます。私生活がめちゃくちゃになってしまうかもしれません。しかし、それをしないでいると、どこか一種の不全感、罪悪感のようなものにとらわれるような気がします。つねに、自分はもっとできる、まだやらなければならないんだという思いが教師のプレッシャーになっているのだと思います。
○「職業としての人間関係」を続けることでの精神的消耗
  「おい、いったい何考えてるんだよ!」という気持ちにさせられる子どもたちがいます。でも、そんな、自分の感覚からは理解不能な子どもたちとも、1年間付き合っていかなければならないのが教師です。「もう、知らん」と言えればどんなに楽かもしれません。でも、「この子もいいところがあるんだ」などと自分に言い聞かせながら、釈然としない、もやもやした感じが振り払われないままに付き合っていかなければなりません。これも辛いものがあります。右にも左にも転がっていってしまうような、学級という微妙な人間集団と、1年間付き合っていかなければならないことも、時には私たちにとって大きな重荷となってくるものだと思います。
  その他にもまだまだあったのですが、ここでは網羅するのはやめて・・・
 熱心にやっている先生ほどバーンアウト(燃え尽き)しやすいというを聞いて、なるほどと思いつつ、教師という職業は構造的に心の病につながりやすいものを持っているのだろうと感じました。どうしてもがんばりすぎてしまう先生が多いです。
 新井先生は、バーンアウトしやすい時として、「学校を移った時」ということをおっしゃいました。みんな、思わずなるほどとうなずいていました。環境が変わった時、たしかに危ない気がします。
 最後に、互いに支え合える職場作りのためのアイディアとして、インシデントプロセスの事例研をやりました。
 内容が盛りだくさんで、最後にみんなでシェアリングする時間がとれませんでした。でも、その分そのあとの懇親会で大いに盛り上がり、新井先生にもたくさんお話をお聞きすることができました。
 他人事じゃないですね。ほどほどにして、燃え尽きないようにしないと・・・(D)


◆2004年11月例会「いわゆる『学級崩壊』についての一考察」
   発表 横浜市立中学校
                            半澤 俊和先生
 学級崩壊という言葉をよく耳にするようになってからもうずいぶんたちます。しかし、それは一過性のものとして廃ることはありません。今までも、そして今後も学校が直面し続ける、教育界の大きな課題のように思われます。
  今回紹介されたのは、中学校における学級崩壊の事例でした。私のように小学校の教師をしているものにとって、実際に小学校の教室で起きる学級崩壊ははっきりとイメージすることができたものの、中・高での学級崩壊についての詳細に触れる機会はあまりないので、「ふーん、なるほど・・・」と、興味深く聞かせていただきました。
  今回の半澤先生の発表された事例では、学級崩壊にいたるプロセスや担任の苦しみが具体的に紹介されていました。特に、崩壊のきっかけを作った子が10年後に当時を振り返って語った言葉には、なかなか理解することが難しい「思春期」が垣間見える気がして、とても考えさせられました。
  今回の発表では、半澤先生が学級崩壊というものを単にネガティブな失敗事例とは見ていないところが新鮮な驚きでした。学級崩壊は、ある面、子どもが成長していくための「集団反抗期」のようなものと前向きにとらえているということでした。
  今回の事例を小学校における事例と比較すると、はっきりとしたちがいを感じます。小学校の学級崩壊の場合は、ほとんどの場合、「保護者」が重要な役割を果たしていると思います。(保護者が「あの先生だからだめね」と子どもに言うようになって、加速度的に崩壊が進み、止めようがなくなったという事例をいくつか知っています)中学・高校の場合は、やはり生徒自身の中にあるものがあくまで中心になるのですね。
  学級崩壊の事例にあうたびに、苦しむ担任をうまくサポートするシステムはできないものかと思うのですが・・・・実際むずかしいものです。                           (D)



◆2004年 1月例会 「ワルテッグ描画テスト」 講師 杉浦京子先生

 勤労会館に集まったのは12人ほど、本当に小さな規模の集まりに、あの杉浦先生が2時間半たっぷりと教えてくださいました。
 投影法テストの中でも、枠の中に描かれた点や線などの刺激図を使って絵を完成させていくというかんたんなもの。しかし、それをどう読み解いていくかということになるとなかなか単純なものではなく、投影法ならではの微妙さ、難解さがあるものだと感心させられました。
 人数が少なかったので、後半は「では、一人ひとり描いたものを見ていきましょう。」ということになり、内心、「超ラッキー!」という感じでした。人数が多かったらとてもそんなことはしてもらえないでしょうから。
 それぞれ自分が描いたものを前に出して、順番に先生にコメントしていただいて、「はあはあなるほど」となっとく。しかし、自分についてのコメントを聞く時は、内心すごいえぐられるようなことを言われるのではないかとちょっと怖いものです。先生のコメントはどれもやさしくおだやかなもので、みんな内心ほっとしたと思います。(ただ、あとで本を読んでみたら、杉浦先生はショックを与えるようなことは避けたのかなあ・・・という気も)
 こんな少人数で杉浦先生に教えていただいて、「とってもお得」という感じがしました。
 ワルテッグ描画テストは、学校場面でなかなかすぐ使えるかというと、なかなかそうはいかないかもしれません。でも、先生のコメントの中でしばしば言われていた、「象徴的意味」については大いに考えさせられました。子どもの話を聞き、絵や作文など子どもの作品と接する中で、なにかを感じ取れたら子どもを見る目はずいぶん深まっていくものだろうなあと感じました。(D)


                         
                      
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