2009年6月例 コミュニケーションがむずかしい子どもへの接し方
特別支援アドバイザー 宗形 奈津子先生
始まる前、パワーポイントをプロジェクターで映すことがどうしてもできず、焦ってしまいましたが、UbuntuLinuxに切り
替えて、Openofficeを使ったら、あっさりとできました。うーん、今はリナックスもすごい。便利になりました。そのうち、「O Sはウインドウズ?マック?リナックス?どれ使ってんの?」なんていう時代になるかもしれません。
発達障害についてのお話はけっこうあちこちで聞いていたので、新しい発見があることは期待していませんでした。で
も、今回のお話はとても新鮮で、自分の中でごちゃごちゃに詰め込まれていた「発達障害」にかんする知識がきちんと 棚に整理されたみたいです。
はじめに、「こうたくん」といういつも落ち着かない男の子が、診断を受けてまわりの理解を得られ、上手に適応できる
ようになったという絵本が紹介されました。最近はこういうケースがけっこうあるのだろうなあと思います。
常日頃感じているのは、私たちが研修を受けて学習しても、実際は、ただパターンを当てはめてみるだけではうまくい
かないことがよくあります。ケースバイケース、細かによく見ていかないとわからないものです。先生がケース中心に話 を進めてくださったので、自分が今までに知っていたこと、聞いた話などを、なるほどこう適用するのか、こう解釈してい くものなのかとうなずき、理解しながら聞くことができました。
PDD傾向の子には、「ちゃんとしよう」とか、「しっかりやりなさい」といった抽象的な表現はうまく機能しないということ
は聞いて知っていましたが、先生のお話の中でもいくつかのおもしろいアイディアが紹介されました。
座って気をつけの姿勢を作らせるために、
「手はグー、背筋ピン、足はピタ。」
と表現するというのがすごく気に入って、さっそく学級で取り入れてみました。
同時にお話の中で、「音をたてないで歩こう」とか、「しゃべらない」といった否定的な表現ばかりにならないよう留意す
るということが話されました。自分の中でちょっと忘れていた部分だなと気づかされました。やはり、よくない点を直して 行くというよりは、よりよい行動をほめ、伸ばしていくというプラスの発想が子どもたちの自信にもつながり、成長させて いくのでしょう。
最後に、PDD傾向の子どもの就労についてのお話があり、興味深く聞きました。実際は、学校での適応以上に大き
な問題なのです。アスペルガー症候群の子たちは、ある面でたいへんな才能を見せることがよくあり、それで成功する 人もいます。しかし、一般の人に交じって就職するとなると、バランスの悪い彼らはなかなか認めてもらえないことが多 いです。そこで、絵でもなんでもいいから、彼らが作った作品を取っておいて、その実力を認めさせる、偏ってはいる が、並外れた技能を見せつけることを考えていくと良いということを先生は言っていました。
こういうことは初めて聞きました。
先生に紹介していただいた「高機能自閉症とアスペルガー症候群のハローワーク」というのも、一度見てみようと思い
ました。(D)
◆2009年1月例会 『最高の人生の見つけ方』(映画から考える)
講師 光元和憲先生(ちば心理教育研究所)
ジブリの作品を解釈させたら天下一品の光元先生です。今回は「最高の人生の見つけ方」という映画の解釈でした。
「この映画を見た人にだけ話します。」といつものように映画の一部を見ては、ユーモアたっぷりの語り口で、映画の解 釈を行ってくださいました。そして後半は、映画に出てくるテーマを取り上げながらのディスカッションを行いました。
<あらすじ>
原題は"Bucket List" 字幕では「棺おけリスト」と訳されていました。「死ぬまでにしたいことのリスト」という意味です。
金が全てという大富豪のエドワード(ジャックニコルソン)は81歳。自分の都合だけを優先しながら(光元先生の、いわ
ゆる「饅頭のあんこ」)生きてきた無神論者です。一方、自動車修理工のカーター(モーガン・フリーマン)は、頭が良くて 家族思いで働き者 (「饅頭の皮」で生きてきた) の信心深い男です。その二人が同じ病室で知り合い、どちらも末期が んで余命6ヶ月を宣告され、Bucket Listを実現するために二人で旅に出る、という話です。
そのリストには次のように書かれていました。
『荘厳な景色を見る、見ず知らずの人に親切にする、泣くほど笑う、マスタングを運転する、スカイダイビング、世界一
の美女にキスをする、入れ墨をする、ローマに行く、ストーンヘンジに行く、ピラミッドを見る、ライオン狩り、入れ墨を入 れる…』
エドワードが娘のエミリーとの絶縁を話したとき、カーターは『きずなをとりもどす』とリストに付け加え、エドワードは「よ
けいなことをするな」と消します。エドワードが書き入れて途中で削除したのは、『ライオン狩り』。物語は、このリストを消 しながら、時には書き加えられながら進むのです。
<解釈から>
この映画が信仰の大切さを伝えようとしている、という点は押さえながらも、人生の価値は何かという問いをめぐって、
「対話」をキーワードとして、「人にみとめてもらうこと」に光元先生は注目していきます。
映画の冒頭は、エドワードの秘書のトマスがエベレストに登るシーンから始まります。
『エドワードは5月に死んだ。日曜日の午後、空には雲1つなかった。人生の価値は容易には量れない。家族や友人に
よって量られる、と言う人、信仰心によると言う人、愛だ、と言う人、人生に意味などない、と言う人もいる。私は、自分 を認めてくれる人がいるか、で決まると思う。ただ、これだけははっきり断言できる。エドワードの最後の日々は、多くの 人の一生分以上、に値した。彼がその目を永遠に閉じたとき、心は開かれた』
光元先生は、次のように語ります。
「自分が生まれてきたことの価値はわかりません。でも、自分が生きているうちの価値はみつけることができます。そ
れは、『他者からの承認』だとこの映画はいいます。
商品は、人がそれを認めることによって価値がでてきます。だれかが承認してくれることで価値が発生します。才能も
形にして、他者が承認しないと、価値は発生しません。生きる価値は、だれかからの承認ではないでしょうか。善意をほ どこしたからといって、承認されるとはかぎりません。しかし、がんばるしかないのです。」
映画から読み取れることはたくさんあり、そのあとは会員からの活発な意見で、とても深まり、充実した会になりまし
た。この研究会のメンバーは教育に携わっていますので、「他者からの承認」の話は、いきおい子どもの成長にかかわ ってきます。幼児期から児童期にかけての遊び体験が、ルールの内在化や相互承認を経験する場になっていること、 それが土台となって学習の中の相互承認が育つことについて話題になりました。それは、地域共同体を育む土台でも あります。学校教育の意義と可能性を再確認することにもなった、ひろがりのある研究会になりました。(W)
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