◆構成的グループエンカウンター(SGE)体験ワークショップ
2007年8月17日〜19日
埼玉県教育カウンセラー協会主催の、構成的グループエンカウンターの宿泊ワークショップに行ってきました。
参加動機は、「学級で使うためのSGEを体験を通して身につけたい」というものでした。
ベーシックのような奥深いものは最初から期待していませんでした。
ところがどうして・・・・
けっこう深かったです。
真夏のぎらぎらの太陽が照りつける8月、40名以上の参加者がセミナーハウスに集まりました。大半は教員、中には高知県から来たという人もいました。
研修施設の中に、2泊3日の間、カンヅメになります。「文化的孤島」ということが強調され、外に出ることはもちろん、新聞、テレビもダメ、携帯の使用も控えるようにということを言われました。この辺、徹底しています。
外の世界と隔離された、40数名だけのバーチャルな「社会」で、3日間、12回ものセッションを繰り返します。
お互い最初は知らない同士、違うメンバーをさがしてグループを組み、いろいろなゲームや作業などをやりながら、その都度シェアリング、シェアリングではひたすら自分の感じた気持ち、自分の中にある思いを語るようにします。
エクササイズの中には、小グループの中で、メンバー相互の葛藤が起こるものもありました。遠慮、気兼ね、思い通りにできないもどかしさ、思うように参加できないもどかしさ、疎外感・・・
セッションを重ねるうちにお互いの理解や一体感も高まり、それぞれが徐々に自己開示をするようになります。
40分に及ぶ「全体シェアリング」が、毎日行われます。40人以上の視線の中で、自分の心の内を語るのは、最初はとても抵抗があります。しかし、グループの親密性が高まるにつれて、おとなしかった人でも徐々に自己開示できるようになります。
全体シェアリングでのリーダーやスーパーバイザーは、参加者の防衛を指摘し、自分の本音に向き合わせます。泊まりの長い時間がある分、思い切って参加者の気持ちを突き揺さぶっていたように思います。
メンバー各自の本音が出てくると、意見への共感が起こり、対立も起こります。自分の中に抑えていたものに感じて泣き出す人もいます。
全体シェアリングは、個々のいろいろな感情表出に突き動かされて、グループ全体がダイナミックにうねる刺激的な時間でした。このシェアリングこそが「エンカウンター」なのだろうと思います。
この3日間の間、どんどん感性が敏感になって研ぎ澄まされてくる感じがしました。この感覚はベーシックの感じと同じです。
普段は感じられないような他人の気持ちのちょっとした揺らぎや、自分自身の感情の波立ちなど、いろいろなことに敏感に気づいてしまって、かなり疲れます。
でも、普段の生活の中では隠してしまっている、あるいは麻痺させてしまっている本当の自分に出会えるのは心地いいものです。自分の中でずっとひっかかっていたナゾが解けるような、すっきり感があります。
最後に3日間を過ごした仲間達と名残惜しい別れ、そして、まだ半分ほんわかした夢の中にいるような感覚で、電車に乗って、現実にもどってきたのが不思議な感じがしました。
参加者の誰かが言っていました。
「構成的グループエンカウンターの方は、ベーシックのと比べると『品質保証』されている感じ。ベーシックはものすごいドラマが最後に待っているかもしれないけど、場合によっては傷ついて終わるかもしれない」
まったく同感です。
初めての方には、特に教員の方には「構成的グループエンカウンター」の方をおすすめしたいです。きちんとプログラムされていて入りやすいです。(D)
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◆東京大学医学部附属病院「こころの発達」臨床教育センター
臨床研修コースA
私達が携わっている「教育」という分野のとなりには「臨床心理」という分野があります。さらにそのとなりに「精神医学」という分野があります。いろいろな研修で、となりの「臨床心理」的なものを学ぶことはあるのですが、さらにその向こうの「精神医学」の領域に関することについて学ぶ機会はなかなかありません。幸運にも、今回この「こころの発達」セミナーではそのようなことを学ぶ機会に恵まれました。
発達障害について、「それはどういう特徴があるか」「教室ではどのように困るか」「どのように対応していったらいいのか」といったことについての研修をいくつか受けてきました。この講座では、原因、構造的なことについてもけっこう踏み込んだ講義がなされました。脳画像研究から自閉症について考察したり、自閉に関係した遺伝子の特定、化学物質による環境因子の可能性など、初めて触れる事柄もかなりありました。
発達障害と関連して、てんかんやチック、トゥレット症候群などのことについてもくわしく知ることができ、より広い理解ができたように思います。
講座全体としては、軽度発達障害も含めてはいますが自閉症等養護学校に通学するクラスの障害を中心的に扱っており、受講者も普通学校の教諭よりは養護学校、療育機関、相談機関などに勤務しているという人が中心でした。中には小児科の開業医の方もいました。
とにかく内容が濃く、すごくためになり面白かったです。わからない専門用語などもバンバン出てきて、家に帰ってインターネットで調べることもよくありました。6時からの休憩10分間のみのみっちり3時間の講義はかなりハードで、けっこうきつかったです。でも、最後まで受講し終えて、その意義はしっかりと感じることができます。
「自閉症等の障害に関して、研究の成果を発表、共有することで、多くの医療、教育機関が共通認識を持つことができるように、そうすることで早期に適切な療育を行う、それが自閉症児のより高い社会適応につながる」ということを考えて本講座を企画したということを話されていました。今回は第1回目ということで、主催する先生方も、参加者の反応をすごく気にしている感じでした。 (D)
第1回 金生由紀子 広汎性発達障害とADHD
第2回 加藤進昌 児童精神医学の総論
第3回 金樹英 神経症性障害,気分障害,統合失調症
第4回 染谷利一 認知発達と治療教育
第5回 佐々木司 発達障害と遺伝研究
笠井清登 発達障害と脳画像研究
第6回 下山晴彦 認知行動療法
第7回 水口雅 てんかん
第8回 金生由紀子 チック障害及び小児強迫性障害,
ケースカンファレンス1
第9回 太田昌孝 発達障害の現状と課題
第10回 蓑和巌 神経心理検査と評価スケール(実習を含む)
第11回 金生由紀子 ケースカンファレンス2,3(オブザーバー関根洋子)
総評と修了書発行
◆千葉大教育学部教育実践センター公開研究会
「学校教育と虐待」
平成18年2月4日(土)12:50〜16:00
講師 子どもの虹情報研修センター 大川浩明 氏
文教大学人間科学部 秋山邦久 氏
虐待は、教育の中で発達障害と並んで大きな問題となっています。その対応の難しさ、介入のしづらさ、子どもの生命に関わる問題の重大さで、教師としてもっとも扱いの難しい問題のひとつです。私も虐待経験を持った子を担任したことがあり、その難しさを実感していただけに、興味を持って本研究会に参加しました。
前半、大川先生先生のお話は、被虐待の子どもたちと接した経験を例に挙げながら、被虐待児の行動特徴、心理的特徴についてのものでした。話を聞いていて、とにかく被虐待の子どもと付き合うのはたいへんなことだなあと再認識させられます。落ち着けない、安らげない、いつも危険にさらされているという環境で育ってきた子どもたちは、信頼、安心感を相手に向け、安定した関係を作ることができません。態度はコロコロ変わるし、何かあれば、うそをついてその場を切り抜けようとします。わざと相手を怒らせるようなことをしては、相手が怒って怒鳴ったり手を上げたりすると、泣いて傷ついて見せます。
お話の中で、必ずしも被虐待児ということでなくとも、考えさせられることもずいぶんありました。その一つは、被虐待児によく見られる「性的刺激への親和性」です。虐待、暴力やネグレクトのある家庭は、しばしば性的なものに対して親のけじめがないということでした。子どものマンガのすぐそばにアダルトビデオのテープがあったり、そんな例がけっこうあるということでした。そのお話を聞いた時、担任していたひとりの子どもの顔がパッと浮かびました。エッチなことを言って友だちの気をひこうとしていたあの子は家庭でそんな環境下にあるのかもしれない・・・と。
難しい被虐待の子どもたちと日夜付き合う先生の苦労を思うと、頭が下がる思いです。 研究会後半は、秋山先生の、被虐待児への対応、援助についてのお話でした。「被虐待児の問題行動」は、虐待家庭の中にあっては「適応行動」であるといったことが、軽妙なユーモアを交えて説明されました。お話は、狭い意味での被虐待児対応のノウハウに限られず、ふだん日常の教育活動に生かせるいろいろなヒントがちりばめられていました。
その中でも「相手に伝えたいこと」を、「相手が受け取りやすい形」で伝える大事さ、「ラッピング」のお話が特に印象に残っています。
不良中学生に一生懸命話しかけてコミュニケーションをなんとか取っていたら、それを見ていたお巡りさんが、「だからカウンセラーとかはダメなんだよ。ああいうやつにはガツンと言ってやらなきゃダメなんだよ。」と言ってきたそうです。そこで、「ああ、そうですね。あの、ガツンと言うとどうなるんですか?」すると、そのお巡りさんはひとこと。「スッキリするよ!」と言ったそうです。これって教員にもよくあると思いました。けっこう、子どもを怒る時、子どもにいかに伝えるかじゃなくて、自分がスッキリしようとしちゃっている時ってあると思いました。(D)
◆アートセラピー2日間セミナー 明治安田心の健康財団集中講座
2005.5/21ー22
講師 関 則雄(長谷川病院アートセラピスト)
土、日、2日間のアートセラピーについての入門的な講座でした。
そもそもアートセラピーというのは何か?どう使えるものなのか?ということもはっきりとイメージになく、ただ漠然となんとなく行ってみたという感じだったのですが、十分に得るものがある2日間だったと感じています。
最初はアートセラピーについての、概論的な関先生の講義がありました。主としてアートセラピーが始まってからの歴史的な流れとその考え方についての説明でした。、関先生は語り口が柔らかで、その風貌も含めてなんとなく森本レオみたいでした。
1時間半ほどの講義のあと、早速グループワークを行いました。まずは4人グループで順に絵を描き足していくというワーク。画用紙に自分が最初に描いたちっぽけな絵に他の人の絵が重なっていき、最初とは違った画面が出来上がっていくのはちょっと不思議なものです。
次は自分の気持ちを抽象的に描いてみて、それを見ながら1対1で話し合っていくというワークをしました。その他、もしも「どこでもドア」があったとして、いますぐ行きたいところ、またはそこに行った自分を描いてみようというワークもありました。アートセラピー全体を通じて、絵の解釈をしたり、ただ思い切り描いてストレス発散するというのではなく、画面に表現されたものを通じて、他者との会話、言葉のやりとりの中でそれを描いた自分の心の深くにあるものに触れていくという「癒し」でした。
ワークの中で最も印象的だったのは、「盲目のアートセラピスト」というものでした。1人の人がひとつの感情をテーマに絵を描き、描き終わったら、それを目をつぶったパートナーに説明していくというものです。自分の絵について、当たり前のことを一つひとつ言葉で説明していくプロセスの中で、描いているときは全然気づかなかったものが見えてくるのは、不思議な体験でした。
最後はグループで共同製作、模造紙1枚の絵を4人で描きました。(高校の美術部などで、大きな壁画とかをみんなで作ったりしますが、あれはセラピーですね)
明日から学校で何を生かせるというというわけではないけれど、この2日間で、自分自身が癒された感じがしました。翌日は、夢からさめたような気分でした。(D)
◆フォーカシングワークショップ 2005年7月22日〜24日
場所 大阪・ホテルセイリュウ
2泊3日のフォーカシング宿泊研修、参加者は45人ほど、スタッフが約15人、3日間に6度のフォーカシングセッションが行われました。
それぞれのセッションは「出店方式」今まで知っていたフォーカシングとはちょっと違う、いろいろなフォーカシングの「出店」に、参加者が思い思いに参加するという方式でした。最初にスタッフが「私のところは夢フォーカシングをやります」「こっちでは粘土をやります」「曼荼羅を作ります」「ダンスをやります」とか言うので、おもしろそうなところ、人数のあまり集中していないところなど、自分で選んでそこに行きます。このワークショップでは、フォーカシングというのを一つの形の決まった技法としてとらえておらず、いろいろな物を使い、あるいはいろいろな方法で、自分の気持ちに「フォーカスする」というものでした。
あるセッションで、池見先生にリスナーになっていただき、自分の心にフォーカスする機会を得ました。そのフォーカシングの中で、自分の中の「防御壁」のような物を感じました。私自身は、その防御壁を何とか早く取り去ろうという方向に意識が向いていたのですが、池見先生は、「防御壁を取り去ることよりも、防御壁までたどり着いたということを大事にしましょう」ということを言われました。防御壁−それをポジティブに捉えてみようということでした。そういわれてみると、私自身が感じていた「防御壁」そのものが今までと全然違ったものに徐々に変化していくのを感じました。フォーカサー・リスナーの二者関係でなく、フォーカサー・リスナー・フェルトセンスの三者関係がそこにありました。セッションが終わったあとで池見先生が言われた「防御壁があって良かったと思っています。」という言葉は強く印象づけられました。
最後のセッションは、軽いディスカッション風のものでした。「学校とフォーカシング」というテーマで主に教師が集まってセッションが行われました。みんなでゴロゴロ横になりながら「うちの保護者がさあ・・・」とか、グチを言い合い、のんびり過ごしました。こういうのもなかなかいいですね。(Y)
◆不登校と引きこもりの理解と治療・援助
明治安田心の健康財団(高田馬場)
2005年5月11日〜6月8日
不登校、引きこもりについて90分5回の講座。最初の2回は「児童期、思春期における回避傾向と不登校」と題して、主に子どもの不登校について川畑友二先生が講演をしました。3、4回目は近藤真司先生の「青年期における回避傾向と不登校」という題で、青年期の引きこもりについての講演でした。5回目は、全体を通じての質疑応答という形ですすめられました。
川畑先生は、子どもの不登校を、主に発達という視点から見ており、乳児期、幼児期のそだちのつまずきが、あとで不登校という形で出てくるという事例をいくつか紹介されていました。川畑先生は、子どもの成長を高層ビル建築にたとえていました。ビルを15階(15歳)まで作っていったら、3階(3歳)での手抜き工事がビル全体にゆがみを生じさせ、それ以上の建築が不可能になってしまうということもあるという例えをされていました。やはり不登校というのは育ちのゆがみがが一つの形として現れるというケースが多いようです。
近藤先生は、青年期の引きこもりについて事例を通じて詳しく話してくださいました。引きこもりになっている人の中には発達障害を持った人もかなりいるということでした。引きこもりと発達障害は無縁のものではないということを知りました。
最後の質問で、引きこもりの青年を強引に引っ張り出して寮生活させ、引きこもりから脱出させたというようなテレビのドキュメンタリー番組を何度か見たことがあるので、そのような強引な手法についてどう思うかについて、先生の意見をうかがいました。
そのことについては、うまくいった事例があるので、それはそれで意味があるのだろうということでした。ただ、「そういう人は失敗事例を発表しないところがこまったものだ」ということを言われていました。劇的にうまくいくことがある反面、それがかえって悪くした事例も現実にはけっこうあるのだということでした。「ああ、やっぱりなあ」と思いました。(D)
◆危機介入に関するコーディネーション
講師 瀧野揚三(大阪教育大学)
学校心理士会 埼玉支部講演
文教大学 2005,7,23 (4時間)
テーマは、学校の危機管理、危機介入ということでした。
先生は、池田小の児童殺傷事件後の様々な事後ケアにあたり、子どもたちがどんなケアを必要としているか、また、学校のシステムとしてそのような危機状態仁陥ったときにはどう対処していかねばならないかについて、経験的に熟知しておられる方でした。 ニューヨークの同時多発テロの時もアメリカに居合わせた経験を持つ先生は、その時のことなども話されていました。特に印象的だったのは、ビルに飛行機が激突する映像を子どもたちに見せないようにテレビ局の方が配慮をしていたということでした。また、テロのあと、子どもを水族館などに連れ出すよう呼びかけるなど、アメリカという国が「心のケア」に気を配っているということが、よくわかりました。日本の社会はそういうところの配慮がやや欠けているのかもしれません。
後半は、実際の学校トラブル事例を元に、役割分担を決めて、チームで子どもたちやマスコミに対応していくというシミュレーションをグループごとに行いました。事故にあった子ともにはケアが必要ですが、それを見ていた子ども、子どもを注意して事故の一因を作ったかもしれない教師、さらには管理職、校長に対しても心のケアが必要だというのは、ちょっとした盲点だったように感じました。
瀧野先生は、学校の危機管理をする職員のチーム、そのコーディネーターの役を学校心理士が担っていくのが一つの理想的な形ではないかということをいっておられました。
臨床心理士が国の資格として認定されそうな状況で、学校心理士の役割、専門性について、少し考えさせられました。(D)
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